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地上の探偵

 今日もヤミは混沌としている。どこで買い占めたのやら分からない食料やら用途の分からない米軍から流されたもの、それを嬉々として売る売人もまた胡乱なものだ。おひとつ頂戴なと硬いせんべいを頼む。かじれば香ばしく、そこそこに不味い。茶でも欲しいが薬缶を沸かすのが面倒だ、適当な水道で水を飲む。巻端・磯路は今日もそうして戦争の焼け跡が残る地上を徘徊する。
「美味い話があるんだ」
 そう言う男もまた先のせんべいの売人のように胡乱なものであった。
 第弐帝都計画――陸軍が考えただの海軍が考えただのはもはや判然としない噂。東京の地下からどこまでも続く、地下帝国があるとかないとか。そこは解体されかけた財閥が逃げているだの、軍の国家機密部隊の元隊員が国家転覆を狙って潜んでいるだの、噂は絶えない。――とはいえ、そこでうまく馴染めたら地上以上の生活が送れるとはまことしやかに言われている。
「しかし、そんな美味い話があったら、とっくのとうにヤミでせせこましくアメさんの横流しするよりか、皆が皆地下に行くだろうよ」
 笑って言ってやれば、その男は心外だと言う。
「何の武器も持たねえ奴が行けば危ないだろうよ。ガキ連れで行く奴なんか気が知れねぇぜ」
「……武器を持つのが前提なのか?」
「そらそうだ、アナグラは百鬼夜行、怪しげな機械も闊歩してるってんだ。銃か刀がなけりゃとうてい行けたもんじゃない」
 そう言ってケケケと男は笑うと、懐に忍ばせている拳銃を見せた。
「お前、それ、どこから……!」
「警官からかっぱらったんだ。ヘヘッ、アナグラに行きゃァチャラってもんよ」
 あんぐりと口をあける巻端は、一度口を閉ざし、それから呆れてため息をついた。
「……知らんぞ、官憲サマに手を出しただなんて」
「そっちこそ、地上でウロチョロしてせせこましく生きりゃァいいや、信じるも信じないもお前次第さ」



 そうしてその男の死体が発見されたのは、翌日だった。
 不可解なことに、こんな東京の街中でまるで獣に襲われたような大きな傷跡が胸元に広がっていて、それが致命傷だったと言う。人づてにそれを聞いていた巻端は、死体を拝むことこそできなかったものの、怪奇的な死体が出たわりに新聞にも大きく載らないことに眉を潜めた。
 ――第弐帝都計画。
 ――解体されかけた財閥が逃げている。
 ――軍の国家機密部隊の元隊員が国家転覆を狙って潜んでいる。
「情報統制ね……」
 眉間にシワを寄せる、アナグラの話はここのところぽつぽつと聞くが、こんな派手な死体が出たのは初めてだ。なにか触れてはいけないものに触れたか、或いは無謀にもアナグラに潜って化け物にでも遭ったか。その化け物というのも信用ならない話であるが、地下に猟犬でも飼っていても、まあおかしくはない治安だとは耳にしている。それとも――百鬼夜行――本当に化け物がいる? まさか。おのれの考えを一笑に付してから、巻端は考える。巻端はカストリ雑誌記者として小遣いを稼ぎながら探偵を営む者だ、この際、この国が抱えている、特大ネタでも探してみるか。



 第弐帝都対策部、という部がひそやかに警察に存在している。東京駅のほど近くに部署があるそこは、急ごしらえながらもコンクリ造りの建物だ。外部を見ても一見普通の建物である。
「……どうしたもんかね」
 いざ来てみたところで、取材ですと言ってすぐに応対してくれるところでもあるまい――そこまで考えてふと、先の男が盗んだ銃のことを思い出した。そういえば、それが見つかったという話を聞いていない。しかし、これをどう切り出すものか――。
「どうしたでありますか?」
 赤毛の少女が巻端に声をかけた。あまり見慣れない制服を着ている。
「あ、ああ。ちょっと警察に話があってね」
「おや! この対策部にご用事でございますか!」
 少女はピンと敬礼すると、巻端をあれよあれよと内部へ案内する。ちらほらと人が居るか、中も普通、人員も普通――制服が見慣れなかったり、私服の人間が居ること以外は普通の署のように思えた。奥へ行けば、白髪の眼鏡をかけた年齢感のわからない者がいる。
「やあ、どうも。第弐帝都対策部に、なにかご要件ですか?」
 にこやかにそう言う者に、巻端はしめたものだと思って口端を上げた。
「先日、官憲サマから拳銃を盗んだ不届き者が居ましてね。そいつが野犬かなにかに襲われたような傷で死体が上がったんですが、銃を手にしていないときた。これは報告して差し上げねばなるまいと思いましてね」
 そう言われて、白髪の者は片眉を上げる。
 制服の少女もまた、ぴくりと反応した。
 成程、これは随分と話の余地がありそうだ――。
 巻端探偵は、そうしてこの違和の世界に足を踏み入れることになる。

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