無文に語る口無し
「最近は世知辛いもんですなぁ」
季節外れのおでんの屋台で大根をつつきながら、虎屋・獅鉛は匙・当適にそう声をかけた。
「……ウロ組合が『四天王』、虎屋・獅鉛がこうも簡単に接近してくるとはね」
「なァに、ここはアナグラ、ウチらが幅を効かせているところや、官憲様でも簡単に捕まえられるとは思うておらん」
「ナメられているのか、お目溢しを受けていただいてるのか……キミが敵とはとうてい思えないよ」
「はは! ウチらだってなるべき官憲様とは喧嘩したいとは思っておらん、安全にできるのならそれが一番だ」
――国家転覆を狙っている相手と官憲が安全に、争わないとでも思っているのか――匙は片眉を上げて虎屋を見る。
「……喧嘩したくないのなら、そちらの思想を曲げる気はない? 正直困るんだ」
今どき国家転覆、だなんて途方もない話、GHQの支配下のニホンで考えるなんて、とうてい馬鹿げた話だ。今更実現できる話だとは思えない。
「どういう崇高な理念と構想の元、やっているのかお聞かせ願えないかい? 大将」
「そりゃあ御免や! 機密の漏洩してどやされたくないんや!」
ガハハ、そう笑ってみせる相手に、相変わらず食えない奴だという感想を抱いたまま。このまま虎屋を捕らえることも考えたが、この無防備さ、逆に怪しい。――事実、匙は包囲されているし、今回は大人しく食事会をするだけにとどまった。相手は、どうやら仕掛けてこなければこちらに来る気はないらしい。
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「虎屋・獅鉛。悪質なショバ代取り。特にウロ組合で幅を効かせている人間が四人居るから『四天王』」
「実に安直でありますな。匙殿はもっと長ッタラシイものを好むかと思っておりました」
「アハハー、こーゆーのは陳腐なくらいがいーの。分かりやすいし、相手の格も必要以上に上げない」
ハラナキのツッコミに、匙は頭の後ろで手を組んで歩き出す。
「しかしどうしたものかね……一番友好的な彼ですら言葉で説き伏せられないかぁ……」
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「アカンでぇ……? ここの支払い、滞ってるんと違うか?」
「ほ、本来、ここらに土地代なんてのはないはずだろ!」
必死の抗議をするアナグラの住民に、容赦なく虎屋は部下に指示を下すと、その露店を畳ませる。おい、待てよ! と叫ぶ男に、冷たい一瞥が寄せられる。
「――無文に語る口無し、や。世の中カネでっせ?」
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というわけで、素寒貧になった男が対策部の前でシクシクと泣いている。
「問題は山積みなのだけれどもねぇ……福祉施設に案内しようにも、上も上で混乱しているし……」
「そ、そんなぁ~……」
そう、今は戦後の混乱で、地上も混迷を極めている。なにもアナグラだけがというわけではないのだ。
「まぁ見捨てるのも後味悪いし、ウチで働いてくれたらその分は出すから」
神様~! と言わんがばかりの勢いの相手をまぁまぁとなだめつつ。
「しかし、そろそろ対策部も動き出せそうかな」
「そうであります! 民間協力者も、マレビトの皆様も準備万端! いつでも行けることかと!」
「よーうし、そうきたら揉め事の解決は進みそうだね……なーんせ今まで人手不足でぜーんぜん手が回らなかったんだもの!」
――アナグラの混沌を収める前に地上のヤミや犯罪の取り締まりに警察はかかりきりで、全貌の知れないアナグラの対応をする第二帝都対策部はあやしげな部署として思われているのが常だ。人手不足もいいところで、起きるトラブルは匙とハラナキの二人が適宜少数の人員を派遣するか、自分達が直々に行くかが流れであった。しかし明日からは違う、相応の人員が見込めるはず。
「やっと部署っぽくなってきたよ……」
「そうでありますなー! 幸いながら協力者はたくさん! 色々と捗ることでありましょう!」
ふんすと意気込んでみせるハラナキ、それから彼女ははたと気づいた。
「まだアナグラに慣れていない方や、そもそも入ったことのない人もいる可能性はあるのでありましょうか」
「ん? ああ、そうだね、資料によればそういう人もいる」
「でしたら不肖ハラナキ、アナグラの中の案内もいたします! 皆様に快適にアナグラを過ごしていただくでありますよ!」
そうとなると簡単な地図を作らねば! ハラナキはバタバタと元気よく駆け出す。
「あーらら……気合が入っちゃって、まぁ」
匙は微笑ましくそれを眺め、それから外を見た。アナグラとは違う、厭というほど青い空が見える地上――。
「下で、何か宝物が見つかると、いいねぇ」
これからアナグラへ行く誰かに、どうか。